オンラインカジノの歴史を簡単解説!世界初のオンラインカジノやゲームプロバイダーはどこ?
日本でCMを流すオンラインカジノ日本語もあり、以前と比べてオンラインカジノの認知度が高くなりつつあります。
気になってオンラインカジノを始めてみたという人も多いのではないでしょうか。
プレイヤーも増え、どのような歴史を経て、今のような盛り上がりを見せているのかが気になる人も多いはず。
こちらの記事ではオンラインカジノがどのような経緯で、ここまで発展してきたのか?
オンラインカジノの歴史について詳しく解説していきます。
2分で読める記事です
目次
【1994年】世界初のオンラインカジノ運営ライセンス発行の法律が可決
オンラインカジノの歴史がスタートする発端になったのは、イギリス連邦加盟国のアンティグア・バーブーダという小国で可決されたカジノ運営ライセンスに関わる法律。
この一件をきっかけに現在ではオンラインカジノライセンスの代名詞となっているキュラソー、マルタを始め、数々のオンラインカジノライセンスを発行する国が登場します。
ジブラルタル、カナワケ、UKなど、ライセンスを取得できる国は、今ではかなりの数。
今では世界中多くの国を拠点として運営されているオンラインカジノが多数あるのは、ライセンスを発行してくれる国が多いことも影響しています。
【1994年】世界初のオンラインカジノのゲームプロバイダー設立
初めてオンラインカジノライセンスの法案が可決されたのと、時を同じくしてオンラインカジノ向けのゲームを開発するゲームプロバイダーが設立。
これまで数々の億万長者を生み出したメガムーラでおなじみのマイクロゲーミングが、世界初のオンラインカジノゲームプロバイダーとして誕生します。
初めて誕生したゲームプロバイダーということもあり、この時点ではゲームの基準も審査もなかったのですが、独自に基準を作り上げました。
現在ではどのゲーム会社も利用している第三者審査機関の設立にも関わっており、オンラインカジノゲームはマイクロゲーミングなくしては成り立たなかったと言えるでしょう。
まいく日々、最新のゲームを送り出しているネットエント、プレイテック、現在はアマヤゲーミング傘下になったクリプトロジックなどのゲームプロバイダーが次々と登場してきました。
【1996年】世界初のオンラインカジノ設立
オンラインカジノ運営に関わる法律が可決され、遊べるゲームを開発する会社も登場したことで、オンラインカジノがオープンする土台が整いました。
1996年に歴史上、世界で初めて誕生したオンラインカジノは、今現在、日本でも多くのプレイヤーがいるインターカジノ。
カジノ創成期から現在まで運営され続けているオンラインカジノはほとんどないのですが、日本でも利用できるのは驚くべき点ではないでしょうか。
インターカジノがオープンしたことをきっかけに、1998年にはジャックポットシティ、2000年にはロイヤルベガスと、次々に新規カジノがオープン。
どのオンラインカジノも今でも名前をよく聞く、プレイヤーの多いカジノばかりなので、多くのプレイヤーに求められていたサービスということがうかがえます。
【1998年】初の日本語対応オンラインカジノ誕生
海外で運営されていることもあり、縁遠い存在だったオンラインカジノですが、1998年に初めて日本語対応したカジノが登場。
インペリアルカジノは、その当時、オンラインカジノが一切進出していなかった日本向けに日本語対応して展開してくれました。
残念ながら2018年に営業を終了してしまっているので、現在では遊ぶことができませんが歴史に名を残すオンラインカジノの1つ。
インペリアルカジノの日本語対応をきっかけに、ベラジョンカジノ、ミスティーノなど、次々と日本語対応するオンラインカジノが現れました。
【2010年】モバイルでのオンラインカジノが普及
世界的にスマホが普及し始めたこともあり、オンラインカジノも一気にスマホ対応を加速。
ムーンプリンセス(Moon Princess)を始め、人気のゲームを世に送り出しているプレインゴーが他社に先駆けてモバイル対応ゲームをリリース。
ハイクオリティなカジノゲームが、いつもでどこでも快適に遊べるようになり、オンラインカジノの歴史上でも革新的な出来事と言えるでしょう。
ここ最近では専用のスマホアプリを提供しているオンラインカジノも増え、スマホで遊ぶことがすっかりおなじみになっています。
【2011年】日本で大人気のベラジョンカジノ設立
2011年には現在、日本でテレビ、ラジオCMが放送され、無料版アプリもあることで、認知度の高いベラジョンカジノが設立。
このくらいの年代から、日本人プレイヤーに向けたサービスが充実していきました。
日本語対応のカスタマーサポートのあるオンラインカジノも増え、日本円が使えるカジノも日に日に増えています。
2020年頃から、日本人ディーラーが対応してくれるライブカジノゲームも現れ始め、どんどん利用しやすさが向上。
ベラジョンカジノ以外にも、日本向けのサービスを強化するオンラインカジノは日々増え続けています。
【2016年】スマートライブカジノ事件
日本語対応のオンラインカジノが増え、盛り上がりを見せていた状況で驚くべき事件が起きました。
スマートライブカジノというイギリスの会社が運営していたカジノの利用者が逮捕されてしまったのです。
通常、オンラインカジノは海外で運営されているので、逮捕されることはないのですが、このケースの場合、以下の条件がすべてそろっていたことで逮捕につながったようです。
- 日本人のディーラーがゲーム進行
- 日本時間の夕方から深夜にかけてテーブルが開かれていた
- プレイヤー同士、ディーラーと日本語でチャットのやり取りができた
以上の条件からプレイヤーが国内のカジノを利用しているのと同様であると判断し、逮捕に踏み切ったという経緯がありました。
また、この事件の場合、逮捕された利用者たちがSNSやプレイ中のチャットから特定することができたことも逮捕の理由の一つ。
この事件の際に逮捕された一人が、逮捕はおかしいと裁判を通じ徹底抗戦した結果、無罪となっており、公にオンラインカジノを利用しても問題ないという見解を得られる事件となりました。
その後はオンラインカジノに関わる逮捕事件などは起こっていないので、安心して利用できると言えるでしょう。
オンラインカジノの歴史上、このような出来事もあったということは頭の片隅に入れておくと良さそう。
【2020年】コロナにより日本でオンラインカジノユーザーが急増
新型コロナウイルス流行に伴う外出自粛を背景に、今年9月のアクセス数は3年前の100倍以上に増えた。
コロナ禍で日本でも家にいる時間が増えた人が多くなり、そのことも追い風になりオンラインカジノユーザーが急増しました。
日本経済新聞でも取り上げられるほどの増加ぶりを見せており、2021年の9月時点では3年前の100倍以上のアクセス数になっていたようです。
また、どのオンラインカジノをスマホから簡単に利用できることも、ユーザー増加のきっかけとなっています。
ユーザーが増えていることを受け、これまで日本語対応していなかったカジノも次々に日本語対応しており、プレイヤーにとっては嬉しい変化。
その一方で、間に合わせでホームページだけ日本語にし、カスタマーサポートがないオンラインカジノも散見されるので注意が必要です。
気を付けたい点も少なくありませんが、今後、日本向けのサービスが向上していくことにも期待が持てるでしょう。
オンラインカジノの歴史のまとめ
オンラインカジノがどのようにスタートし、発展してきたのか? 簡単にまとめてお伝えしました。
調べてみて驚いたのは、オンラインカジノの開始時期にスタートしたカジノが今現在でも数多く残っていること。
多くのプレイヤーたちが利用し、ゲームを楽しんでいるからこそ、30年近い年月運営を続けられているということでしょう。
また、さまざまなタイプのゲームを開発している、ゲームプロバイダーもオンラインカジノとともに発展してきました。
日々、見たことのない新しい形の安心して遊べるゲームを開発してくれている会社にも、長く一言では語れない歴史があるのも垣間見えたのではないでしょうか。
オンラインカジノの歴史を知ったことで、これまでと違った視点でゲームを楽しむこともできるはずです。